「まちのサーバー」 結城市民情報センター

建築は、近代の技術に頼って形づくられている。図書館もまた近代のテクノロジーによって稼動している。そして、図書館はメディアを扱っている。しかしながら、我々が図書館から得たいものは、メディアそのものではない。図書館に求めるものは、データであり、思想であり、物語である。なのに、図書館はそれらを直接的に扱うことはない。そこに、図書館のある種のパラドックスがあり、図書館の核心がある。

結城の街の歴史は、源頼朝と因縁のあった朝光が1193年(寿永二年)結城郡主となったときに始まる。以後400年に渡ってこの地を治めた結城氏は、1590年に徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子であった秀康を養子として迎えた。しかし、1600の年関が原の戦いの後六七万石に加増され越前に国替えとなり、松平を名乗ったことにより結城家は消滅した。その百年の後結城は水野氏の所領となって幕末を迎えた。
結城の街は、計画的城下町として1598年ころに造られたと言われている。現在の市街地の体系は「下総州結城絵図」(享保一九年)に記された地図と重なっている。結城の人たちは、今も数百年も引き継がれてきたこの路を使って生活しているのだ。
敷地は、昔から「湿辺」と呼ばれ、市街地の外れであった。鉄道が開通したことによって、市街地のはずれでしかなかったこの場所が駅前となった。しかし、鉄道の南側に国道が通り、さらに南側にバイパスが開通したことに伴って市街地は南側に広がり、相対的に駅と駅前の価値は薄れ、市街地は沈滞化の途を辿っていた。
市民情報センターは、市街地の活性化を目的として企画された。その目的に対して我々は、結城という街のローカルなネットワークのサーバーとして、さまざまな「もの」や「こと」を結び付け、集積し、流通させる役目をする。けれども、サーバー自体は目的に対して直接的な働きをするわけではなく、ここを起点して街に動きが生まれていくことに意義がある。それは、「情報とは誰のためにあるか、何のためにあるか」ということに行き着く。希望をもって未来を描き、その夢に向かって、前向き生きていく人のためにあるだと、僕は思う。市民情報センターの意味はそこにある。

この建物の大きく張り出した屋根は、サーバーのアイコンである。屋根をほぼ敷地いっぱいに掛かることによってこの場所のポテンシャルを建築という物体を一致させ、街に特記を与えようとした。
そして、屋根の下にはひろばがあり、連続するエントランスホールがある。それらすべては、ヒトと情報を集積し、交換するためのものである。さらに、中に入れば、ほとんどの場所が見る見られる関係にある。そこにいるヒト、そのヒトの行為もまた、ここに集積された情報なのである。つまり、メディアを扱う施設もまた、ヒトを交流させるメディアなのである。

 

住所
茨城県結城市湿辺7467-5
竣工
2003年09月
建築面積
5,064.98㎡
延床面積
14,396.21㎡
構造規模
S+RC造 一部SRC造、地上4階、地下1階

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