祇園寺 客殿・庫裏主要作品に戻る

客殿の玄関は本堂の右側に位置している。巾3間の間口の上に寄せ棟の瓦屋根が載り、下部には銅版葺きの下屋が回っている。 客殿玄関の戸を開けると、間口3間、奥行8間、高さ9尺の空間が来訪者を待ち受ける。入口の土間は外部から連続する4半敷きの瓦貼りである。その先に3段の敷台があり、桧の板が張り詰められている。

壁と天井は、コンクリートの打ち放しである。深い軒に覆われた土間には玄関の格子戸を通して光が差し込む。その先には、夏でもひんやりとした陰が支配する間をおいて、正面の壁には上部から自然光が注いでいる。この正面の壁の前には仏像が置かれることが予定されている。

この建築のストーリーは、この空間から始まる。それは、「寡黙さと強さ」を主題とした「間」を創り出すことであった。

この空間は、コンクリートによって領域を規定されている。しかし、ここでの目的は、空間を規定することではなく、「間」を醸成することであった。したがって、構成する物質にそれほどの意味はない。もっとも少ない物質的要素でその「間」を生み出すものとして、コンクリート打ち放しを選択したのである。

「間」は「空」に通じていく。この「間」は、禅宗寺院の浄域の極みに向かう閾として意味をもっている。350年の歴史を誇るこの寺の新しい時代を象徴する空間としての「間」である。それが、26世住職小原宜弘氏の代の普請であることの特記であった。

日本の建築の空間は、柱・梁という線によって構造化され、床と天井(あるいは屋根)によって領域が規定される。そこに、鴨居・廻縁・竿などの線によって性格が与えられる。物理的に空間を限定する垂直面を構成するのは襖や障子などの建具であり、その存在は自在であるが故に流動的である。そのため、垂直面は空間を限定する役割を持つものの、絶対性を有してはいない。

したがって、空間の意味を規定するのは天井である。そして、床は物理的な領域を規定する役割を担う。床と天井という上下の水平面によって、日本建築の空間は特異な領域を構成する。けれども、日本的な空間は、始めから面とはなり得ない。すべては柱によって始まる。柱は屋根を支持する構造体であると同時に、領域の境界を構造化する象徴的な存在に昇華するからである。その柱が「間」を生み出す決定的な役割を果たしている。すなわち、日本的なの空間の原初は柱にあり、そこから生まれるのは空間ではなく「間」なのである。そして、「空」は「間」に従属する。

所謂日本的な空間の特徴は、開放性と流動性である。しかしそこには、履物を脱ぐという行為によって空間の意味が強固に決定づけられる。土間と板の間の間には、厳然とした結界が存在するのである。その強固な領域限定ゆえに、この玄関に足を踏み入れたとき、この間に吸い寄せられる。そして、自然光の中に浮かび上がる仏像に心が向かう。その心がふたたび自らに跳ね返り、この「間」に気持ちを委ねることになる。

その土間の天井は格子天井である。本来格子天井は本尊の上部に掛けられ、明確な上位性を与えるものである。しかしここでは、玄関に足を踏み入れた檀家の頭上にのみ格子天井があり、仏像の上部には天空がある。下座の土間の上部に格式があり、本尊の分身である仏像は高座に位置しながら天空の下にあるという、空間秩序を交錯させている。

現在はもはや封建秩序に基づく社会ではない。日本の禅宗といえども、世界的な社会規範と無縁ではいられない。宗教が社会変化に対応して、手法が微修正されることは珍しいことではない。しかも、今日の日本の寺院は、新規に信者を獲得することを布教の目的とはしていない。むしろ、檀家という信者に対して手厚い振る舞いをすることに主眼がおかれている。

仏閣の普請は、檀家の寄進によることが常とされている。この事業もその例外ではなく、この時代にありながら菩提寺に多額の浄財を寄進した檀家諸氏の信仰心の賜物である。この玄関の格式ある天井は、仏の魂にも相当するに檀家諸氏に対する敬意を表すものなのである。

様々な企図を含む「間」は、世俗に塗れた凡庸なる設計者が禅師から得た「空」の解釈である。その「空」が、いつしか建築家ミース・ファン・デル・ローエが語った“Less is more”と符合し、かくの如く具現化した。

この間は、第26世住職小原宜弘氏の普請であることの特記なのである。

住所 茨城県水戸市八幡町
竣工 2004年7月
建築面積 972.26㎡
延床面積 1,104.23㎡
各階延床面積 1階:872.91㎡、2階:223.61㎡、PH階:7.72㎡
構造規模 鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造、木造
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